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徳島地方裁判所 昭和43年(ワ)92号 判決 1969年7月29日

原告

片山エミ子

ほか二名

被告

阿南生コンクリート工業株式会社

主文

一、被告は原告片山エミ子に対し金八十万円、原告片山英治、同片山充に対しそれぞれ金二五万円、並びに右各金員に対する昭和四一年八月二四日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二、原告らのその余の請求を棄却する。

三、訴訟費用はこれを五分し、その三を被告の負担、他の二を原告らの連帯負担とする。

四、この判決は第一項に限り仮に執行することができる。

事実

一、原告ら訴訟代理人は

「 被告は原告片山エミ子に対し金二〇〇万円、原告片山英治、同片山充に対しそれぞれ金五〇万円、並びに右各金員に対する昭和四一年八月二四日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告の負担とする。」

との判決並びに仮執行の宣言を求め、その請求原因として次のとおり述べた。

「(一) 訴外片山達夫は次の事故によつて死亡した。

(1)  発生日時 昭和四一年八月二一日

(2)  場所 阿南市楠根町七浦七番地先

(3)  事故車両 被告会社の営業用大型特殊自動車(兵8そ0845号=コンクリートミキサー車)

(4)  運転者 被告会社の従業員 三木野昇

(5)  事故の態様

運転者三木野昇が生コンクリート約七トンを積載した前記自動車を運転して前記場所の道路補修工事現場に到着し、同所で生コンクリートを降すべく車を後退停車させたのであるが、同所は右工事のため道路の一部が深さ約三メートルに堀り下げられているので、運転者としては路肩を崩壊せしめて自動車を転落させることのないようにすべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、自動車の右後車輪を前記堀り下げた道路側端に停車させた過失により右自動車を道路下に転落させ、同所付近で作業をしていた前記片山達夫を車の下敷きにし、よつて同人に対し骨盤骨折等の傷害を負わせ、昭和四一年八月二三日午前零時一五分頃小松島赤十字病院において同人を死亡するに至らしめたものである。

(6)  責任原因

右事故は被告会社の従業員たる運転者三木野昇が被告会社の前記自動車を運転していた際の前記過失に基づいて発生したものであるから、被告会社は自動車損害賠償保障法三条により、仮に右適用がないとしても民法七一五条により原告らに生じた損害を賠償すべき義務がある。

(二) 原告らの損害は次のとおりである。

(1)  片山達夫は昭和五年一月一〇日生れで加茂谷中学校を卒業後家事の手伝等をしていたが、昭和三六年四月二三日原告エミ子と結婚して昭和三七年四月五日その届出をなし、その間昭和三七年六月二六日に原告英治を、昭和四〇年二月一二日に原告充を儲けるに至り、極めて円満な家庭生活を営んでいた。そして右達夫は右結婚前より土建業湯浅勝太郎に雇われ土工として働き、一ケ月平均三万円余の賃金を得ていたもので、もともと健康体でこれまで病気等をして休んだこともなく、その性質も温順であり、夫としてまた父として理想的な人であつた。

(2)  原告エミ子は昭和一〇年一一月一三日生れで前記のように達夫と結婚し、その後前記二児を儲けて平和で幸せな生活を営んでいたものであるが、夫達夫が前記事故で死亡したことによる悲惨苦痛は到底口で言い現わすことができないものであり、殊に三二才の身でこれから子供二人を養育しなければならないことを考えると、その前途暗たんたるものがある。

(3)  原告英治、同充は本当の父の慈愛というものを知らないうちに父に死なれ、今後は父なし子としての一生を送らなければならなくなり、その精神的苦痛ははかり知れないものがある。

(4)  被告会社は本件達夫の死亡に対して何ら誠意を示していない。

(5)  原告らは本件事故につき自賠責保険により金一五〇万円の保険金給付を受け、また三年後は労災保険により遺族補償給付金として僅かな金額の支給を受けることになるが、これだけでは原告らが将来生活し、原告英治、同充が義務教育を終了することすら容易でない。原告らは、右達夫の稼働による逸失利益の損害についても相続したが、その請求もせず、また同人の死亡によつて費した諸経費も請求しないで、原告ら固有の慰藉料のみを請求するものであるが、以上の諸事情をあわせ右慰藉料は原告エミ子につき金二〇〇万円、原告英治、同充につきそれぞれ金五〇万円が相当である。

(三) よつて、被告会社に対し原告片山エミ子は金二〇〇万円、原告英治、同充はそれぞれ金五〇万円並びに右各金員に対する達夫死亡の翌日たる昭和四一年八月二四日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。」

二、被告訴訟代理人は

「 原告らの請求を棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。」

との判決を求め、答弁として次のとおり述べた。

「1、請求原因(一)のうち(1)ないし(4)は認める。但し、運転者三木野昇は事故発生の時運転しておらず、停車した車の車外に居た。

同(一)の(5)のうち、右三木野がコンクリートミキサー車に約七トンの生コンクリートを積載して道路工事現場に到り、これを降すべく車を後退停車させたこと、その後路肩が崩れて車が転落し、訴外片山達夫がその下敷きとなつて負傷し、原告ら主張の日時に死亡したことは認めるが、その余の事実は否認する。

同(一)の(6)は否認する。本件事故は三木野昇の過失でもなく、また自動車運行中の過失でもないから被告会社に何らの責任がない。

請求原因(二)の(1)ないし(5)のうち、原告らと訴外片山達夫の身分関係、同人と原告エミ子の各出生日、婚姻の日、達夫が土工であつたこと、原告らが金一五〇万円の自賠責保険金の給付を受けたこと、三年後から労災保険による遺族保補償給付を受けることは認めるが、その金の事実は不知、原告ら主張の損害額は争う。

2、本件事故発生の状況は次のとおりである。

(1)  即ち、本件事故現場はそれ以前に道路が崩壊したので、土建業湯浅勝太郎がその補修工事を請負い、崩壊部分を切り取つてコンクリートの側壁を築き、切り取つた部分に土を埋め戻すという工事を行つていた。

(2)  右コンクリート側壁の構築に使用する生コンクリートを被告会社が受注し、事故当日は既に大型車三台で運び、四台目として運んだのが本件車両である。

そして、先の大型車三台は四立方米積み、本件車両は三立方米積みの車であり、一立方米の生コンクリートの重量は約二トン三五〇キログラムであるから、自重を含めて全体の重量差は約三トンである。

(3)  三木野運転手が本件車を運転して現場に行つたところ、先の車(運転手新居徳男)がちようどコンクリート注入を終つたところであり、三木野は現場の約五〇メートル手前で一旦停車し、新居運転手の作業している所まで歩いて行つて様子を見たうえ、同人の車に同乗して自車の所まで帰り、次に自車を運転し新居運転手の誘導で後進して現場の約二〇メートル手前まで近づき、そのあとは現場責任者大畠静雄の指図で進み、右大畠の指示する位置に停車した。

(4)  該道路の東側は山で、その反対側が工事のため切り取つてあつてその有効幅員は約三メートルであつたから、三木野は車を山側一杯につけて後進し、一旦は先の新居運転手が停車させた位置に停車したが、前記大畠がもう少し入つてくれと言い、居合わせた人夫らが邪魔になる資材等を取り除けてくれたので、右大畠の誘導でゆつくり後進し、約五〇センチメートル進んだところで停止の合図があつて停車させたものである。

(5)  そこで、大畠が休憩を宣言したので、三木野運転手はエンジンと車両との連結を切り、ミキサーのみを動かして降車し、人夫らと共に約一〇分間休憩し、再び作業にとりかかるようになつて、先ずコンクリートに水を入れるため車台にあがり、約五、六分水を入れた時、右後車輪の斜め後方から地面が崩れ、車体がずり落ちるような形で工事中の堀り下げたところに落ち、前記片山達夫外一名の人夫がその下敷きになつたのである。

(6)  かくして、前記新居運転手が警察署に事故の連絡をしたが、救急車と医師が到着せず、約二時間後同人を救出し、小松島市の日赤病院に入院せしめたが、同人は手当の甲斐なく死亡するに至つたもので、右救急車と医師が来ておればその一命を取りとめたかも知れない。

3、三木野運転手には過失責任がない。

(1)  およそ工事現場においては現場責任者の指揮命令に従わなければならない。

(2)  直前に新居運転手の大型車が作業した位置と同じコースを僅か五〇センチメートル進んだだけの位置で、かつ車両の重量が約三トン軽いので、地盤が崩れるかも知れないという予想は不可能である。

(3)  土木の専門家である現場責任者が安全と判断したのであるから、三木野がこれを安全と信じたのは当然である。

(4)  地盤が崩れたのは停車後約一五~六分のことであるから、現場責任者が休憩を命じないで直ちにコンクリート注入を開始すれば、右時間内に注入を終るか、あるいは殆んど終り、車両の重量も自重のみとなつて半分以下となるから道路の崩壊はなかつた筈である。

(5)  死亡した片山達夫も土工で、いわば土工の専門家と言える知識経験を有しているのであるから、その者すら地盤を安全と信じてミキサー車の横の土を堀り取つた穴に居たのであるから、三木野が安全と信じたのは当然である。

(6)  堀り下げた部分の反対側は山腹でこれ以上車両を山側に寄せる余地はなかつた。

以上のように、運転者三木野昇が前記停車位置をもつて安全と信じたことにつき何ら過失はなく、また崩壊の予測は不可能で現場責任者の指揮命令に異議を唱える事もなく、かつ異議を唱える立場にもなかつたのであるから、本件事故につき何ら責任はない。結局、本件事故は専門家の予測を超えた不可坑力によるものであるか、もしくは現場責任者の判断の誤りによるものである。従つて、使用者たる被告会社にも何らの責任がない。

4、本件事故は、自動車の運行によつて生じたものではないから、自動車損害賠償保障法の適用はない。従つて、被告会社に保有者責任もない。」

三、証拠関係〔略〕

理由

一、昭和四一年八月二一日阿南市楠根町七浦七番地先道路補修工事現場において被告会社の従業員である運転者三木野昇が被告会社の営業用大型特殊自動車(兵8そ0845号=コンクリートミキサー車)に約七トンの生コンクリートを積載して運転し、右生コンクリートを降すべく後退停車させたこと、その後同所道路の路肩が崩れて右車両が転落し、訴外片山達夫がその下敷きとなつて負傷し、同月二三日午前零時一五分頃小松島赤十字病院において同人が死亡するに至つた事実は当事者間に争いがない。

二、そこで、まず、右事故発生の経緯と現場の状況について検討するに、〔証拠略〕を総合すると、

(1)  本件事故の発生した工事現場は徳島県那賀郡羽ノ浦町から同郡鷲敷町に通ずる幅員約三・五メートルの非舗装の道路であつて、その東側は山に接し、西側は底地をなし、同所道路においてかつての大雨でその西側部分が崩壊したので、これを補修するため、長さ約一〇メートルに亘り、崩れた土壤を西端から約一メートルないし一・七メートル幅に約三メートルの深さで堀り取り、その西側端に高さ三メートルのコンクリート側壁を構築しようとする土木工事をしていたものであり、この事業を土建業の訴外湯浅勝太郎が徳島県から請負い、現場監督大畠静雄をその責任者として右作業を進めていたものであること。

(2)  当日の作業は夕刻頃右側壁の型枠に生コンクリートを流し込む段取りとなり、右生コンクリートを受注した被告会社が篠原某、新居徳男、三木野昇各運転のコンクリートミキサー車(篠原、新居の車は四立方メートル積みの八トン車、総重量約一七・六トン。三木野の車は三立方メートル積みの六トン車、但し、正確には車両重量六、〇七〇キログラム、最大積載量五、六七〇キログラムで、積載制限のうえでは約二・三トンの生コンクリートしか積めないもの。)を配して運搬させたのであるが、同日午後六時頃右三木野運転手が現場付近に到着したときは、既に二台目の前記新居の車が生コンクリートの注入を終つていたので、三木野は一旦約三〇メートル手前の道路上で待機したのち、自車を後退の方向に転換したうえ、右新居の車と入れ替わりに同人の誘導で同地点から南進後退させて工事現場道路上に入り、先に新居の車が停車していたのと同じ場所に一時停車させたが、その際現場監督の前記大畠静雄の指示があつてその誘導により同停止地点から更に後方約一メートルの地点まで後退して停車したものであること。

(3)  右最後の停車位置は左後車輪が山側(東側)道路端一杯になる位置、右後車輪は西側端から約一メートル幅に道路を堀り取つた路肩からその内側(東側)に約五〇センチメートルの位置(その約一・四メートル後方は右堀り取り線が道路中央の方に拡がつて道幅が更に狭く、車両は全く入れない。)であり、また、その路面は東側(山側)から西側にやゝ傾斜していたこと。

(4)  運転手三木野は、同所で停車したとき、自動車のエンジンと車輪との連結を切り、後部車台上のミキサーのみを回転させ、その際たまたま現場作業員らの呼びかけがあつたので車外に出て右作業員らと共に一旦休憩し、約十数分してのち車台後部に上つてミキサーに水を注入しているとき、突然右後車輪付近の路肩が崩れ落ち、同時に車両が右に傾いて前記堀り取つた窪地に転落し、その結果右ミキサー車の右側(西側)路肩付近に立つていた前記片山達夫と他の作業員二名がその下敷きとなつて本件事故となつたこと。(なお、右作業員二名は間もなく救出されたが、右達夫の救出は困難を極め、救急車の到着も遅れるなどのことがあつて、同夜入院させたものの結局前記のように死亡するに至つたものであること。)

(5)  右事故の原因としては、車両停車地点の道路状況が前記補修工事のため道路西側の一部が深く堀り取られて残つた道幅が狭いうえにその西側路肩が土壤を切り取つたままで弱くなり、しかも事故当日は晴れの天候であつたが、それまでの数日間に大雨があつてその地盤が比較的湿つていて路肩が崩れ易い状態になつていたこと、更には、車両自体もミキサー回転のため総重量約一三トン余のミキサー車全体に震動があつてこれが地盤に影響したことなどが考えられること。

以上の各事実を認めることができ、右認定に反する部分の〔証拠略〕は信用できない。

三、そこで、次に本件事故が自動車損害賠償保障法三条の適用を受けるか否かについて考察してみるのに、同法において、自動車の「運行」とは自動車を当該装置の用い方に従い用いることをいうと定義されているところ、右の「当該装置」とは自動車の構造上設備されている各装置であつて、それは自動車の機関たる原動機、それに付属する操向、制動、電気、燃料等の各装置のほか、特殊自動車が備付している固有の装置、例えばクレーン車のクレーン、ダンプカーのダンプ、コンクリートミキサー車のミキサーなどを含むと解すべきであり、そして、これら各装備の全部または一部を運転者がその意思により操作作動することを自動車の「運行」というものと解するのが相当である。

前記二項認定の事実によれば、本件コンクリートミキサー車転落時に運転手三木野は既に運転台から出て後部車台に上がり、ミキサーに給水をしていたのであるが、エンジンは車輪との連結のみを切つてミキサー回転のため起動させていたのであるから、右三木野は自動車の装置をその用法に従い用いていたものというべきであり、同車の右後車輪下の地盤は右ミキサーの回転中前示重量ある車両の震動が一因となつて崩壊したものであることが明らかであるから、これによる死亡事故も本件コンクリートミキサー車の運行によつて生じたものと解するのが妥当である。(因みに、右自賠法にいう「運行」は必ずしも自動車が走行している場合のみならず、停車、駐車しているときでもこれに該る場合があり、例えば右停車の位置、方法に誤りがあり、停車後それが原因となつて他の車両と接触し、あるいは転落するなどの事故が発生すれば、自動車の運行による事故と解してさしつかえないものというべきである。)

ところで、被告会社が本件コンクリートミキサー車の保有者であること、右車両の運行が被告会社のためになされたものであることは前記一項の当事者間に争いない事実に徴して明らかであるから、本件事故は前示自賠法三条本文の適用を受けるものと判断せざるを得ず、これと見解を異にする被告の主張は結局採用することができない。

四、進んで、同条但書の免責要件の存否について検討することとする。

まず、運転者三木野に過失がなかつたかどうかについてみるに、前記二項認定の事実に照らせば、同人の最終の停車地点(転落地点)の道路は、道路補修工事のため約三・五メートル幅の道路(非舗装)の西側約一メートルの部分を深く堀り取つてあり、その東側(山側)一杯に停車しても右後車輪は切り取つた路肩まで約五〇センチメートルの余地を残すだけの狭い場所であつたこと、しかも当日は晴れの天候であつたが、それまでは雨天続きで地盤が湿潤していたこと、そのうえコンクリートミキサー車は積荷を含め総重量約一二トン余の重量車で停車後もミキサーの回転による車両の震動があることなどから、運転者としては前記停車地点付近における地盤崩壊の危険が予想されるのであるから、右地盤崩壊による車両転落の事故を未然に防止するためかかる危険のない安全な地点に停車させるべき注意義務があるものというべきであり、〔証拠略〕によると、三木野は最初先行車の新居運転手が停車した地点に一旦停車したのち、現場監督大畠静雄の指示で更にその後方約一メートルの地点まで後退することについて危険を感じたというのであるから、運転者三木野に右注意義務を怠つた過失があると認めるほかはない。

この点について、被告は、およそ工事現場においては現場責任者の指揮命令に従うべきものであり、右責任者である大畠の指示によつて前示転落地点まで後退することになつたのであるから、三木野には過失がない旨、また、工事現場における専門家である右大畠の指示誘導があつたこと、先行車よりもその重量が軽いことなどから運転者が右後退を安全と信じたのは当然である旨等主張するが、自動車の運転操作(走行、停車を含め)によつて生ずる危険は当該自動車運転者がその判断と責任において回避すべきものであることは当然であり、工事現場における作業等につき現場責任者の指揮監督権があるからといつて他の自動車運転者がこれに服従する義務はなく、従つてその指示誘導に従つたことをもつて直ちに右過失責任を免れるものではないし、〔証拠略〕に照らし、運転手三木野が転落地点まで後退停車するについて全く危険を感じなかつたとか、安全と信ずるにつき相当な事情があつたと認めることはできない。(右被告の主張に副うがごとき〔証拠略〕の一部は信用することができない。)

以上説示のように、本件事故については運転者三木野に過失がなかつたということができないから、その余の免責事由について検討するまでもなく、本件自動車の保有者たる被告会社は被害者片山達夫の死亡によつて生じた損害を賠償する責任がある。

五、よつて、その損害について検討するに、まず、片山達夫は昭和五年一月一〇日生れ、原告片山エミ子は昭和一〇年一一月一三日生れで昭和三七年四月五日婚姻の届出をしたこと、右達夫及び原告エミ子夫婦の間に昭和三七年六月二六日原告片山英治が、昭和四〇年二月一二日原告片山充がそれぞれ出生したこと、事故当時右達夫が土工であつたこと、本件事故により原告らが自賠責保険金一五〇万円の支給を受けたこと、事故三年後より労災保険による遺族補償年金の支給を受けることになることは当事者間に争いがない。

そして、〔証拠略〕によると、達夫は長年土工として働き、平素から健康で性格も温厚であり、原告エミ子と昭和三六年四月二三日結婚して夫婦となり、(但し、届出は前記昭和三七年四月五日)、その間に前記二児を儲けて平和な家庭生活を続けていたこと、事故当時は前記土建業湯浅勝太郎に雇われ土工兼運転手として働き、現場監督の任に当ることもあつたが、その収入は月額約三万円余で、家族はこれを唯一の収入として辛じて生活していたこと、原告エミ子は結婚後僅か五年余り三〇才の年令で一家の柱である夫を失つたことになり、その将来は長く、殊に当時四才と一才の二児を抱えての生活、養育上の不安と夫を失つたことによる悲しみは深刻であり、更に原告英治、同充が幼なくしてかかる事故で親愛なる父を失つたことによる悲嘆と将来における不安もまた少なからざるものであることを認めることができる。

他方、〔証拠略〕よりすれば、本件事故は前記湯浅勝太郎の請負う道路工事現場における出来事で現場責任者大畠の軽卒な指示誘導が大きな誘因になつていること、被害者達夫は当日たまたま他の工事現場からの帰途右工事現場に立寄り、本件コンクリートミキサー車西側の危険な路肩付近に立つていてこの事故に遭つたものであることを認めることができる。

そして、これら一切の事情を斟酌すると、被告会社が原告らの蒙つた精神的苦痛に対する慰藉料として支払うべき金員は、原告エミ子に対し金八〇万円、原告英治、同充に対しそれぞれ金二五万円が相当である。

六、以上により、被告会社に対し原告エミ子は金八〇万円、原告英治、同充はそれぞれ金二五万円と右各金員に対する不法行為完了の翌日たる昭和四一年八月二四日以降完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める権利があり、右の限度で原告らの各請求は理由があるから認容し、その余の各請求を失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九二条、九三条一項但書を、仮執行宣言につき同法一九六条一項を各適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 深田源次)

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